MIHARAとともに・・・10年に向けて~
2000年6月23日
どんな名前にする? そうね~
社長が最後に池尻でバイトしていたバーのお店・・何だっけ?
あ~チェントコーゼ? 呼びやすいよね?
どんな意味? ん~確か、「大きくなれ!」ってイタリアの造語みたいだよ・・
うん!それにしよう~
そんな簡単な瞬間に決まったお店の名前!
先月、寿退社をした山田さんと3人でのスタートの夜でした。
3人で当初は本当に試行錯誤だった。
販売をやったことのない社長、私達の接客を凝視してたよね?
経理がわからなくて、社長はオープンしてから毎日夜中の2時3時・・
「個人事業の簡単経理」や「資金繰りに強くなる本」などを買って読んでました。
毎晩遅くなるので、私は一人しかいないちっちゃなアパートでよく心配してました。
オープン直後に雑誌を見ていて、「MIHARAYASUHIRO ウエアー発表!」の文字を
見つけ、原宿直営店へ直行!
担当して下さった加藤さんにそんなにお買い物しなくていいですよ・・と
言われても、確か景気づけに、二人で20万ほど頑張って買った記憶があります。
ベージュの革パンと革ひもで編んだスカート・・・今でも大切にとってあります。
MIHARAはデザインが、掛川の土地には奇抜過ぎて、2~3年全然売れませんでした。
止めようか・・・と何度も悩みましたが、やっぱり好きだったんですね。
毎日毎日着倒して、ショーをやったりして、ボチボチ売れるようになりました。
そんなブランドも今では、インスタレーションで、シーズンが来る前に
ほぼ完売するまでになりました。
これがMIHARAのCENTOデビューであります。
さらにオープン前に遡ります。
10年前、青山の「アドバンス ド チキュウ」という、オリゾンティーの直営店で
1足の靴の前でどうにもこうにも足が動かなくなって、感動した黒のウエッジソール。
MIHARAとの出会いでした。
39800円。買おうか、買うまいか迷っていたら背後から声をかけられました。
当時、ジュリアーノフジワラの営業だった浪江さんでした。
たまたまお取引先だったメーカーさんが、通りかかり私を見つけ、
「戸塚さん!(旧姓)このデザイナー・・靴に命かけてますよ!すごいと思うよ。来ますよ~」
と・・・
でも聞いたことない名前だな~
でもかっこいいな~
と、やはり買ってしまいました。
こんな10年も前のことなのに昨日のことのように思い出されます。
今は、H&MやFOREVER21など、、素早くリーズナブルなプライスで、
そのシーズンのトレンドのファッションを販売することをいう、
FAST FASHIONが若い世代に注目されています。
原宿が賑やかになり、若者が活気で溢れているのは、とっても
元気のある戦略で、動員数も素晴らしいですね。
ただ、競って安価を求め1店で購入するだけでなく、いろんなお店をリサーチして、
これはここ!これはあそこ・・というようにトッピング感覚をも養っていればいいですね。
お店も自分でトッピングできるようになれば、より、コーディネート力もつくように
思います。
逆にデザインをする者にとっては、これらは、刺激を与えてくれるのは、売りの戦略だけであり
ややもすると、デザインはFASTチームにリサーチされ、コピーされているのがおちです。
こんなに頑張って作り出してきた愛情あるデザインや、パターン、
または、販売方法や、お客様とのコミニュケーションなどの
イノベートな要素は簡単に作ったり、盗まれたりするものではないような
気がします。
今後のいいものを見極める目も養わねば、みんな同じものを
着て、値踏みして、素材をゆっくり味わう時間すら、なくなり
「至福」が「競争で勝ち得たもの」になるやも知れぬ昨今。
これも刺激!の範囲で留めて欲しい・・と願います。
これから私達がやることは、インスタレーションにも見られるように
デザイナーのイメージや、ライフスタイルをカスタマーに提案し、伝えること。
服や靴は生活の一部に、文化として、また
自己表現の必須アイテムとして
一人づつ個性を持って定着させることではないでしょうか?
こんな靴との出会いのように・・・
何年も大切にしているものの中には、深くて輝くものが詰まっているのですよ。
だって10年経ってもこんなに新鮮な想いが甦るのですからね。
10年に向けてこんなことを考えた夜でした。
いつもご愛顧、また応援して下さっている人たちへお礼の言葉も
含め、またさらに熱く明日へと進みます。
今後ともよろしくお願い致します。
CENTO COSE
Director REIKO ISOBE
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